一遍と今をあるく

一遍上人堂通信

斎藤茂吉歌碑

012④斎藤茂吉歌碑(本堂前庭南端中程)

 

 安(あ)か`(あ) `(か)と 一本の道 通り多里(たり)

霊剋(たまきは)る 和(わ)が命奈(な)りけり   茂吉

(大意)夕陽に照らされて、あかあかと一本の道が、真っ直ぐに通っている。これこそ我が人生を生きる姿なのだ。

 

斎藤茂吉(明治一五・一八八二~昭和二八・一九五三)山形県出身。精神科医、歌人。明治三十八年、二十三歳の時、子規の『竹の里歌』に触発されて、本格的に作歌し、アララギ派の伊藤左千夫に師事する。子規の写生論を深めた「実相観入」(自然と自己一元の生を写す)という一種のアニミズムというべき歌論を確立する。dscf5010一遍上人の「よろづ生きとし生けるもの、山川草木吹く風浪の音までも、念仏ならずといひことなし」の境地と同じといえよう。その例が、この短歌である。

東京代々木が原で見た秋の夕日に照らされた一本の道のイメージと、一つの信念を守って孤独に生きる自分の人生行路を重ねたものといわれる。第二歌集『あらたま』(一九二一年)の「一本道」連作八首のうち第一首である。昭和一五(一九四〇)年『柿本人麿』で帝国学士院賞、昭和二六(一九五一)年文化勲章受章。

筆跡は茂吉の自筆。昭和一二(一九三七)年五月二十日に、茂吉が宝厳寺に参詣したことに因んで、平成三(一九九一)年茂吉に師事した歌人山上次郎氏が、茂吉の遺髪を埋めて建立した。