一遍と今をあるく

一遍上人堂通信

酒井黙禅句碑

007③酒井黙禅句碑(山門を入ってすぐ右)

 

子規忌過ぎ 一遍忌過ぎ 月は秋

                黙禅

(大意)九月十九日の子規忌、九月二十三日の一遍忌を過ぎると、月は、清々しい秋の気配を、いちだんと深くしている。(注・一遍忌は新暦でひと月遅れ)

 

 

 

dscf5005酒井黙禅(明治十六・一八八三~昭和四十七・一九七二)福岡県出身。医師、俳人。本名、和太郎。東京帝国大学医科大学で斎藤茂吉と同期。昭和一二(一九三七)年、正岡子規を尊敬して止まない斎藤茂吉を松山へ招く。大正九(一九二〇)年から昭和二三(一九四八)年まで日本赤十字社松山病院院長を勤める。高浜虚子に師事、赴任の際、「東風(こち)の船博士をのせて高浜へ」の句を贈られる。在任中は日赤医師団を率いて、県下各地の巡回診療にあたる。地方俳壇の親交にも努め、昭和二一(一九四六)年排誌「柿」を創刊、雑詠選者となる。昭和二三年野村病院院長となり、二四年には宇和町に排誌「峠」を創刊し、死去するまで、雑詠選者を担当した。愛媛新聞賞、愛媛県教育文化賞受賞。

この句碑は、一遍上人熊野成道七百年を記念して、昭和四十九(一九七四)年、新田兼市氏が建立した。筆跡は自筆。