一遍の生家
草葺き寄棟(よせむね)造りの、大きな田舎家である。母屋(もや)の公縁は、板(いた)庇(びさし)を差し出し、手前のほうに木立に見え隠れする切妻(きりづま)造りの板葺の中門廊に連続している。庭前の小川には、二艘(にそう)の川舟がもやっている。
縁の上の折(おり)鳥(え)帽子(ぼうし)に狩衣姿が、一遍の父であろうか。傍らに、頭巾をかぶり、白小袖の上に、赤の法衣を着ける尼が、念珠を手まさぐりしている姿がみえる。
庭には、僧俗が一遍の出立を見送っている。おいたわしいことじゃ、あの年で、はるばる筑紫(つくし)までの旅とな。道中、ずいぶんお達者でな。善入どの、どうかよしなに頼みましたぞ、な。と、老僧が、しわがれ声を二人の背に送っている。
四条京極(きょうごく)の釈迦堂(しゃかどう)
四条大路と東京極大路とが交差するあたりに、この釈迦堂がある。釈迦堂の境内は、密集した民家の中に、取り囲まれて建てられている。まわりを、板屋根・上げ土の築地でめぐらし、門は二本の角柱を立て、同じ角材の貫(ぬき)を渡しただけのもの。正面が本堂で、三間二面の檜皮葺き入母屋造りの建物である。前面には、蔀(しとみ)戸(ど)がつり上げられているが、その上に女用の市女笠三つが無雑作に載せられている。堂の前、切妻造りの板屋が、踊屋である。境内に、いくつもの板屋がひしめいている。築地の外に櫓を組み、上には屋形をつくり、楯(たて)が四方に並べられている。京の町を警固するための物見である。
釈迦堂に並んで、店がある。西瓜(すいか)や瓜、草履などがつり下げられている。釈迦堂の西は、南北に京極大路。中に、中川が流れている。
一遍の臨終を悲しむ道俗たち
ふたたび、観音堂の場面。例の仮設の板屋の真上から、俯瞰した形である。
観音堂の中央には、一遍の遺体が横たえられている。白い衾(ふすま)を掛け、両手はしっかりと合掌されている。
詞書に、「時衆みなこり(垢離)かきて、あみぎぬ(網衣)着て来るべきよし仰らるゝとき、……」とみえるように、一遍の周辺には時衆の僧が網(あみ)衣(ぎぬ)を着用している。ほかの僧衣とは、違う描写がとられている。
まわりを取り囲む老若男女、道俗の人人が、めいめい悲しみに打ちひしがれた表情ながら、躍動的な筆致で描かれている。