えひめふるさと塾特別例会講演要旨
いのちの賛歌 市民の集い 閉会式総括のあいさつ
パネラーの皆さん、コーディネーターの青野さん、加戸顧問さんご提言、メッセージありがとうございました。教育、福祉、介護などいろいろな立場からの素晴らしいご提言ありがとうございました。
最近、我が家では、高齢者二人になり最後をどのように迎えるか、終活の話をよくするようになりました。以前は命のことなどあまり考えたことはありませんでしたが、10数年前、県立学校の管理職試験の面接で、 女性の先生に
「今、あなたの一番の望みは何ですか」
と聞いたことがありました。すると
「私は、今の望みは『ぴんぴんぽっくり死ぬことです』」
と答えられました。質問が悪くて私の意図とは違っていたのですが、私も死ぬのならぴんぴんぽっくり死にたいですね。朝起きたら死んでいたというような死に方をしたいなーと思っていますが、人間は生まれた時から死と隣り合わせですよね。
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いろは歌に「色は匂へど 散りぬるを」「我が世誰ぞ 常ならむ」というのがありますが、仏教のお経の「諸行無常(しょぎょうむじょう)」、「是生滅法(ぜしょうめっぽう)」をもとにしたと言われています。これは「花は咲き誇っていても、やがて必ず散ってしまうようにどんな幸せも色あせてしまう。この世で生き続けられる人がいるのだろうか。いや必ずすべてと別れて死んでいかねばならない」という意味だそうです。
人間は善意や愛情とかかわりなしに、死はやってきます。どれだけ医学が進歩しようと「生は一回限りのもの」です。だからこそ限りある命を「どう生きたらよいか」について真剣に考え、その生命を未来にしっかりつないでいくことが大切ではないでしょうか。
坂村真民先生は
・ 生も一度きり 死も一度きり 一度きりの人生だから 一年草のように 独自の花を咲かせよう
・ 最高の人というのは この世を精いっぱい 力いっぱい 命いっぱい 生きた人
と読んでいます。
また、今年83歳で亡くなった永六輔さんはラジオ番組の中で、こんなことを言っています。
生きていくということは その借りを返していくこと
誰かに借りたら 誰かに返そう
誰かにそうしてもらったら 誰かにそうしてあげよう
あした死んでもいいように 百まで生きてもいいように
考え 考え 生きていこ 食べたいものは 食べておこ
会いたい人には 会っておこ やりたいことは やっておこ
百まで生きてもいいように 少しは貯金もしておこ
貯金は媛銀にしておこ(これは詩にはありませんけど)
私たちにとって最も大事なことは「今日という一日をどのように生きるか」ということではないでしょうか。
そして、中矢さんの言われるように最後まで輝き続けたいものです。ネイティブアメリカンの詩、長い詩ですけど、その詩の最後にありますように
「私の家は笑いに満ちている。子供たちは家に戻ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ」
と言える最後を迎えたいものです。
また、この地球に存在するすべての人は、命のバトンを受け継ぎ、愛され、望まれ、必要とされて生まれてきたのです。生きるものみな同じ、限りある一つしかない命です。生きているということ自体が素晴らしいことなのです。
だから、峯本さんが言われるように「自分の存在は素晴らしい」「自分は大切な存在なのだ」と思える「自己肯定感」を持ちましょう。「自己肯定感」を持つことができれば、人間が本来持って生まれた“愛”や“優しさ”、“思いやり”や”感謝の気持ち“が自然にあふれだすでしょう。
そして、命と命のふれあいの中で、お互いに支え合い、助け合い、思いやることで大人も、子供も元気になり、いのち輝く社会を創ることできて、ふるさと愛媛に笑顔がふえることでしょう!!!
ふるさと愛媛にもっともっと笑顔をふやしましょう。
また、子供たちにも、親から受け継がれた命に「誇り」をもち、いろいろな人と助け合い支えあって生きていることへの感謝の念を育み、自他ともによりよく生きようとする心を膨らませてほしいものです。
今日の会が、命の大切さを実感し、親子の絆を実感し、自分らしく、ありのままの自分を生きることを考えるきっかけになれば幸いです。これからも「いのち輝く社会づくりの“わ”」を、もっともっと広げていきたいものです。
この会が、今回限りでなく、今後とも続けられること願っています。また、命のバトンを受け継いでもらうためにも、子供たちにも命についてしっかり考えてもらい、来年は、もっともっとたくさんの作文やポスターが応募されることを期待いたしております。先生方、保護者の皆さん、よろしくお願いします。
最後に、ご参加いただきました全員の皆様に感謝し、お礼申し上げて今日の会を閉じたいと思います。ありがとうございました。
H28.11.27(日)国際ホテル松山