一遍と今をあるく

えひめふるさと塾

第5回えひめふるさと塾講演「平成二十五年癸巳年を考える」 講師 今井琉璃男 先生

第5回えひめふるさと塾 講演要旨

 

東京支社長から松山の本社へ帰ってきたとき、さて来年の予想をたてようということになったが、経済の見通しも、社会の動きもわからない。何がはやって何が廃れるか、見当がつかない。しかし役員として自分なりに考えるみる必要があった。それで、東京時代に安岡正篤先生から教わっていた、干支、易経、算命学、これらはいずれも中国が源流の思想でありますが、的確に時代を言い当てておりますので、これらに基づいて来るべき年を考察してみることにした。経済、産業、生産、流通、農林水産、工業、商業などまさにさまざまな部門分野分においても活用できるので、毎年各方面でお話しするようになった。

第5回1さて、二〇一三年、平成二十五年癸巳(きし=みずのと・み)年を考察するために、平成二十四年壬辰(じんしん=みずのえ・たつ)を憶い起こしたい。

水の陽から陰に移るが二十四年は政治経済一般社会に性根の悪い人(壬人・奸人)が続出した。良い話は山中教授のノーベル賞受賞の快挙。伝統的な日本人の良き人柄を発揮した山中教授の受賞前後の謙遜な態度と記者会見は清涼剤だった。年末の総選挙で政界壬人、奸人は淘汰されたがまたまた新しい壬人や奸人、侫人(ねいじん)があちこちに出没しているから要警戒。

癸は「物事をはかる」という意をもつ字で、乂が基本の形だ。揆計、揆測、揆量となる。筋道を立て原則をはっきりさせることをいう。特に首相とか社長とか組織のトップは筋道を立てて処理せねばならぬと訓え、これに反すると一揆(争乱、反乱)が発生する。

巳は「蛇が冬眠から覚めて動き出す、あるいは胎児の頭と胴・手足が伸びてきた」形をいう。年表で癸巳の年を追ってみると共通キーワードは国内的には干ばつ、風水害、災害が多く一揆が発生しやすい。東北、大阪、広島、尾張一揆(天保四癸巳)、安永二癸巳=飛騨、正徳三癸巳=長崎、そして平安京、奈良では延暦寺、興福寺の僧兵が暴徒化する(承安三癸巳、永久元年癸巳、延久五癸巳、長承二癸巳)。外国関連では朝鮮半島との関係が悪化し戦乱、外交面で不祥事が多発しているのが特徴。神功皇后の三韓征伐、秀吉の朝鮮侵攻もそうだし、新羅、百済など朝鮮からの侵攻もある。外交断絶もあった(天平勝宝五、文禄二)。南北朝時代には癸巳の年に京で盗賊がはびこった。

平成二十四年冬至の易で国運は「水天需(すいてんじゅ)」となった。隠忍自重せよとの訓えで大河を前に強健なものが鋭気を養い時機を待つとの姿である。

政治運は「巽為風(そんいふう)」柔軟無比を表し、微風、強風と風はいろいろ吹くが優柔不断ではだめで、優秀な指導者に従い誤りなきを期せとの教え。

経済運も「水天需」だった。国運と表裏一体だ。社会運は「地澤臨(ちたくりん)」上下親しみ合うこと、熱中と忘却が交錯する人間関係を表し運気は次第に上向く形。髙島易断の井上象英師の易では国運は「艮為山(ごんいざん)」軽々に動くと山また山の難にあう。沈思黙考せよの教え。「水天需」の教えと似ている。政治運は「乾為天(けんいてん)」満つるは欠くるの兆しという。調子にのりすぎぬよう、人的配置に誤り無きを。

経済運は「地澤臨」短期決戦は不可、深重にすればやがて隆盛に向かう。社会運は「水天需」となっている。冬至の私の易の国運、経済運と同じだ。

第5回2算命学総本校髙尾学館の中村嘉男校長は、日本国憲法発布の昭和二十二年から五十年サイクルの運気回転二回目に入っており学習期七年目に入るという。

平成二十九年から経済台頭期に入るのでようやく東の空が白みかけた。しかも表鬼門を通過したところで寒気がゆるんできたところ。

いよいよ日本再興の緒についた。これは干支の癸巳に入り壬辰の心根の悪い人が表舞台から去っていったことによる。陰から陽の時代へ移るので「先手必勝」「感謝」の精神で進むのが良いという。路傍の花にも宇宙造化への感謝を捧げよとすすめる。

癸巳、易、算明学の三部門分析、教えをまとめると平成二十五年はまだまだ困難は続くがリセットの体制はできた。前向きに陽気にいくのが肝心。

しかし世界では日本単独では生きてゆけぬ。諸外国、周辺諸国の運気はロシア・プーチン大統領の健康、中国習近平主席の運気、米国オバマ大統領の運気、EUの動き、中近東の動きなど波乱要素も多いから隠忍自重、観察を怠らぬよう努力が肝心。ただTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)が悩ましい。

国の安全保障と密接に絡むので対応が難しい。農林水産業には「山地剥(さんちはく)」の卦が出ており危機近しの意がある。対応には知恵を極大に出すことが大切と訓えている。

最後に六十年前、昭和二十八年の県政をふりかえってみると、左右の対立がずいぶん激しかった。愛媛の政争は名物となった。この年、四国四県開催の国体があった。天皇陛下をお迎えするため高松へ出向いた久松知事は、お召列車の中で、「あまりもめごとをおこさず、県政はなるべく円満にやることだ」とのお言葉を賜り恐縮した。二十八年はそうだったが、今年の県政は平穏であろう。ただ、癸巳年は歴史的に、一揆、僧兵の乱暴、それに朝鮮半島が不安定になる。このことは要注意である。しかし日本は陰から陽へ向かっている。一日に十回感謝することを忘れないようにしたいものだ。

2013.1.19(土)国際ホテル松山南館 (文責 青山淳平)