一遍と今をあるく

えひめふるさと塾

第4回 えひめふるさと塾講演「尊厳死について」  講師 野元 正弘 先生

第4回えひめふるさと塾 講演要旨

人間が亡くなるときは、なかなか難しいものなのです。高度に延命治療が発達した今日、周囲の人たちは治療を止めろと言い出せない。だから患者さん自らが尊厳死を切り出さなければならないケースが増えているのです。

第4回 日本尊厳死協会の会員証の裏面には次のように記されています。「不治であり、死期が迫っている場合には、死期を引き延ばすための延命措置はおことわりします」、「苦痛を和らげる処置は最大限実施してください」、「数か月以上に渉って植物状態に陥ったときは、一切の生命維持装置をとりやめてください」。

また、この宛先は「医療関係者へ」ではなく、最初に「家族」となっています。病院で医師が患者の最期をどうしようかというとき、ご家族に、「普段はご自分の命が終わるとき、どういう風におっしゃっていましたか」と、やんわりとご希望を聞くことはありますが、これは非常にデリケートな問題です。「これ以上は、かわいそうだと思う」と告げると、「先生、手を抜くのか」と言われかねない。もちろん医師法には「診療に尽くさなければならない」とあります。実際の問題として、患者ご本人が「先生、やめてくれ、これ以上やってもいいことないだろう」と言っても、家族は「ちょっとでも長生きさせてくれ」と、反対することが多い。看取ってくれる家族を「悲しませたくない、苦しい思いをさせたくない」というのは患者の率直な気持ちですから、家族と十分話し合っておくのが大事なのです。

愛媛県の尊厳死活動の特徴についてお話ししたい。

正岡子規の「糸瓜咲いて痰のつまりし佛かな」などの絶筆三句はよく知られています。子規なら「尊厳死なんてとんでもない、呼吸器をつけてでも俳句を作る」と言ったでしょう。西行法師の「ねがはくは花の下にて 春死なむ そのきさらぎの もちづきのころ」はよく引用されます。私は伊達博物館で伊達宗紀の「よきも夢 悪しきも夢の世の中を 捨てて今より 後は極楽」の歌に出会い、辞世の句(歌)は亡くなる時に作るものではない、とひらめいた。ぜひ四国支部でも辞世の句をやろう、ということになりまして、募集することにしました。2006年11月に愛媛新聞が取り上げてくれました。一例を紹介します。「なかなかの人生でした私のは あなたに会えて家族ができて」。また亡き夫への手紙もあります。「もう、のりこを守ってやれんと思う。許してくれ。喉の奥から搾り出すような声と言葉を残し、あなたはたった二日の入院で先に逝きましたね。あの日から二十年余りが過ぎ、あなたは幸せな旅立ちであったと思うようになりました。今は、死を迎えるとき、少しでも親族に迷惑をかけないで逝きたい、穏やかな心であなたの待つあの世へ旅立ちたいと願っています」。今年は四国支部で、10句の受賞作品が選出されました。そのなかのユーモア賞にこんな句があります。「辞世の句いつの間にか思いで巡り」。辞世の句を考えていると人生を考えられます。辞世の句を考えることで、自分の一生を振り返ると同時に、どういう終わり方をしたいかを考える非常に良い機会になります。

尊厳死を法制化しようという取組が非常に進んでいます。尊厳死協会が十年以上前からいろいろな方面へ働きかけてきたことでありますが、次の国会にはぜひ出そうと計画していただいております。この動きは二年前に愛媛新聞でも取り上げていただいております。また医師のほうで尊厳死活動に参加する意思があれば、取り入れて診療に考慮するようになっています。病院数は愛媛県が日本で一番多い。尊厳死協会四国支部広報紙の愛媛県のところに、お名前を出させていただいております。

尊厳死をめぐる事件についてふれてみますと、最近では、外科の先生が意識のない患者の呼吸器を外すということがありました。ご家族も同意したので、外したのですが、スタッフが病院長に報告をした。医師法第20条には、「不審死を見たら警察に届けなさい」というのがある。届けないと、法律違反になる。ずいぶん病院長も悩まれて届けた。受理した警察は当然捜査をしなければならない。それで事件になったが、不起訴になりました。

第4回2病院の現場では、終末期を迎えた患者に対して非常に不自然な医療がおこなわれ、そのことは患者にも家族にも決して幸福ではない、という状況が生まれています。適切な対応ができないのです。(延命治療をつづけるべきか、どうか)そのようなことに関するガイドラインがあればよいので、厚生労働省が3年前にガイドラインを示した翌日、警察庁が「警察の捜査権はガイドラインで侵されるものではない」という見解を明らかにしています。それで、現場は動けなくなりました。警察に「捜査するよ」と言われたら困ります。病院の機能は止まってしまって、仕事になりません。ひと月ぐらいはどうしようもなくなります。社会的にもイメージが悪くなります。だから法律を作らないといけない。それで昨年、「患者の意思を尊重するための延命措置の処置に関する法案」を作りました。ご本人の希望があり、かつ死期が非常に迫っている時には、ご家族の意向を考えずに、尊厳死をしても医師の責任を問わない、という内容です。この法案は問題となっている医師法との矛盾を解決しようとするものです。

もともと医師は命を延ばすように教育を受けていますし、法律もそうなっています。問題となる医師法第20条というのは、昭和23年にできています。行き倒れのような方がたくさんいた時代です。病気で死亡したのかどうか、警察に届けて調べるようにという時代の条文ですから、今日には合わない。先ほど紹介したような矛盾が生じてきます。延命治療を続けるのはかわいそうだ、という判断で治療を止めたら、警察へ報告しなければならず、警察も捜査せざるをえない。そのために一週間診療ができない、というようなことをなくすため、法律をつくろうということです。

しかし法律ができても、必ず患者本人の意思がなければなりません。ところがだれでも、その時になって考えればよいことだ、と問題を先送りしがちです。患者のきちんとした意思表示がないと、周りは動けないものなのです。ご家族も、医師から「どうしますか」と聞かれた時に、患者ご本人が「無理をしないでくれ」と気持ちを伝えれば、医師も看取る側もそれに応じた対応ができると思います。そうではない時がなかなか大変なのです。普段からご自分の意思を表明していただく、というのはご本人にとっても最期を希望通りに迎えることができることになります。また、残されたご家族にとっても少しでも楽な気持ちで判断することができます。「気管切開しましょうか。呼吸器つけましょうか」と言われた時に、「もう結構です。やめてください」というのは、非常に重いものなのです。患者ご本人が生前に意思を表明していただくというのは大事です。その為に、尊厳死協会は活動をしております。

平成24年11月17日 国際ホテル松山南館