一遍と今をあるく

えひめふるさと塾

第18回えひめふるさと塾講演「ああ ここが私のふるさと~古里から新里へ~」講師 金本 房夫 先生

第18回えひめふるさと塾 講演要旨

当塾は、ふるさと愛媛の歴史文化を学ぶとともに、産業、教育、医療、福祉、子育て、介護など今日の諸課題について講師と共に語り合い、会員相互の交流と親睦を深める場を提供することで、当行が取り組んでいる「ふるさと振興」に資することを主旨とし、平成24年5月19日に開塾しました。今号は第18・19回の講演要旨をお届けします。

碧地から光を

第18回私は中島で生まれ、中島をふるさととしてこれまで生きてきた。私が教師になったばかりの昭和40年頃。「僻地に光を」ということで、僻地教育のマイナス面を改善して、早く大都市の教育に追いつき、追い越せという発想だった。僻地教育の研究大会のテーマが「僻地教育上の諸問題」だったときに、私は「大都市における教育上の諸問題はないのか。なぜ僻地だけ教育上の諸問題を大会でテーマに掲げるのか。そういう発想から脱する時期なのでは。」と異を唱えた。僻地は碧地であり、「僻地に光を」ではなく「碧地から光を」。つまり僻地教育のマイナス面を改善するのではなく、僻地の良さを生かすプラスの教育を推進するべきだと思う。

また、教育というのは自由と束縛のバランスが重要である。戦後の教育は自由があまりにも行き過ぎていると思う。人生の基礎、基本をしっかり教師が教えなくては立派な大人になるはずがない。そのようなことを思い続けながら教師生活をおくってきた。

「ふるさと」

「ふるさと」という言葉で色々思い浮かぶと思うが、私は真っ先に文部省唱歌の「ふるさと」が思い浮かぶ。わたしは「ふるさと」は大好きだ。しかし、「ふるさと」のような状況になってはいけないと思う。なぜなら「ふるさと」は都会に出た人がふるさとを偲ぶ、望郷の歌だからだ。「ふるさと」の歌詞にあるような「志をはたしていつの日か帰らん」ではなく、志をはたしにふるさとへ帰ってきてほしいと思う。ふるさとは「古里」ではなく「新里」でなくてはならない。そして、私たち教師は「向都離村の教育」ではなく、ふるさとに誇りと感謝を持てる子どもを育てることが役目だと思う。

ふるさとを愛する思い

第18回2様々な偉人のなかでも、ふるさとをこよなく愛していたのが正岡子規である。ふるさと松山にいながらふるさとへの愛をうたった詩を数多く残している。子規のようなふるさとを愛する思いを育てていこうと松山市教育委員会では「ふるさと松山学」という事業を立ち上げている。「家族を愛し、ふるさとを愛し、祖国の文化や伝統を愛する者こそ、他国の人々の同じ思いや願いを理解できる。」ということで、まずは自分たちの親、地域の方々、ふるさとを大事にする、そこから教育を出発しなければ、本当の教育とは言えない。これが私のふるさと論である。

H27.3.21 (土)国際ホテル松山南館 (文責 青山 淳平)