一遍と今をあるく

えひめふるさと塾

第7回えひめふるさと塾講演「遊牧文明からみた現代」講師 松原正毅 先生

第7回えひめふるさと塾 講演要旨

人類史の認識という点から、ひとつの思考実験として遊牧をテーマに選んだ。

遊牧は、農耕とならんで人類の古い生活様式のひとつで、群居性をもつ畜群を管理し、乳、毛、皮、肉などを生活の基盤とする。私自身、13か月ほどトルコ系遊牧民のテントに居候して遊牧生活を体験した。その後、シベリアからヨーロッパにかけてトルコ系遊牧民が歩いた足跡をたどっている。

第7回現生人類は、約20万年前アフリカに出現したといわれる。約千人規模のグループがはじまりと考えられ、現生人類が誕生して以来狩猟と採集を主な生活の手段としていた。狩猟と採集は現生人類に始まったことではなく、チンパンジーと人類の共通祖先から始まったようだ。類人猿のなかのゴリラやオラウータンは狩猟をしないのに対し、チンパンジーやボノボは盛んに狩猟をする。一部のチンパンジーは槍状の木の枝を持って動物を狩るのが観察されている。そして、同時に植物を採食する。現生人類もこの狩猟と採集の歴史を引き継いだということができる。また、現生人類が生きていた20万年前は、他のグループの人類が同時代的に存在していたことがわかり始めた。例えば、インドネシアのフローレス島に体長1mほどの小型の人類の骨が発見されており、これは我々ホモサピエンスとは違う系統であったようだ。その他にも、ネアンデルタール人は、現生人類と同じ時代を生きていたようだ。しかし、現在地球上に生活しているのは現生人類だけである。

現生人類は狩猟(遊牧)と採集(農耕)を行い生きてきたわけだが、遊牧と農耕は、ある意味で違った道筋をたどって現在まで展開してきた生活のしかたであった。私の師匠である今西錦司先生、梅棹忠夫先生も、遊牧は動物の狩猟に起源したものと主張され、私もその主張にそっている。農耕と遊牧は、当初から異質な要素をもっており、農耕から遊牧が生まれるはずはない。重要なのは、ふたつの異なった生活様式の接触からその後のダイナミックな人類史が展開してきたことである。

1万年前、農耕が始まったとされるが、当時の人口が数百万人から1千万人と考えられている。それが18世紀から19世紀の初めには10億の人口となり、現在では70億である。これは明らかに農耕という生活が基盤にあるから養えるわけである。

遊牧の生活は、自然を加工しないのが特徴である。農耕の場合だと、森を切って畑を耕し、自然を加工しなければ成立しない。遊牧は元々、群れを成している動物にくっついて、群れから落ちこぼれてくるものを狩猟し、生活の基盤にするのが始まりだった。だから、遊牧の起源は農耕よりはるかに古い起源をもっていると思う。農耕と違い、遊牧において複雑な道具は基本的に必要がない。動物から産出する、皮や毛、乳を加工する。これらの乳製品はほとんど完全食品といってもよく、この乳製品の摂取と野生の植物の採集によって過ごしていたと考えている。

第7回2遊牧の生活は、そこで暮らした生活の痕跡を一切残さない。私は彼らと生活を共にして1年間で500キロ近く移動したが、テントを張った場所は、何の痕跡も残さなかった。私自身の専門である考古学からしても、遊牧という暮らしを明らかにすることは難しいと感じた。

遊牧や農耕という生活が出現してきた根拠を確かめることは不可能だが、その根本にあるのは言語を運用する能力に違いないと思う。一部の研究者のなかでは、FOXP2遺伝子が言語運用能力に関わっているという主張がある。この遺伝子が20万年前に突然変異としてあらわれたという説にのっとれば、現生人類が誕生した時に言語運用能力が備わった可能性があるわけである。FOXP2遺伝子に限らずいくつかの関連する遺伝子の組み合わせによって、言語運用が始まった可能性は強い。言語運用を通じて遊牧や農耕を開始するのに必要な情報と知識が蓄積されていった。

5~6万年前アフリカを起源とした人が、アフリカ大陸を出て地球各地に広がっていく。人々がどこからどう広がっていったかについて様々な説があるが、氷河時代は海水面が現在より随分低く、場所によっては数百メートル沖まで陸地であったと考えられている。そこを徒歩を含む何らかの手段で移動していった。オーストラリア大陸には、5~6万年前にはすでに現生人類がおり、彼らの子孫がアボリジニと呼ばれる人々である。私は、アフリカ大陸を出て、ユーラシア大陸、インド大陸へ向かっていった人々の一部から遊牧という生活が編み出されたと考えている。3~4万年前に遊牧という生活が現生人類のなかに展開し、ユーラシアの広い地域に広がっていくのだが、遊牧では多くの人口を養っていくことが困難である。

1万年前から農耕という生活が始まった途端、人口が急激に増加していくが、その人々には様々な障害がみられ、早くに亡くなることも多かった。しかし、それを上回る出生を確保し人口が増えていったわけだ。一方、遊牧という生活は、人口を維持していく力は非常に低かったと思われる。それは現在でもいえることである。

遊牧文明と農耕文明との接触によって、衝突が起こるとともに、統治機構が展開していった。そして、現在の近代国家制度にまでつながっていく。遊牧文明の核をたどると最後に残るのは、土地を所有するという観念が欠落していること、累積的蓄積(冨を築く)が欠落していることだといえる。この2つの特質によって展開されているのがまさに現代であるが、遊牧文明のなかでは土地所有という観念がないので、当然ながら社会は平等である。遊牧と農耕という異なる文化が接触した時に生まれてきたのは、統治、階層をもった社会である。従って近代国家制度をシンプルに表現すると、農耕に基づいたもので、土地所有観念の延長線上に国家があり、国境が定められて、国境を守ることが非常に重要とされるわけである。

これが遊牧という視点からみたとき、奇妙なことに映る。けれど、近代国家制度が築かれ、国境が定められることによって遊牧生活の基盤は完全にずたずたにされる。自由に行き来ができなくなり、土地は登記されて自由に動くことは不可能になる。生活の基盤そのものが崩壊し、現在遊牧で生活する人々の数は激減している。

私は、人類史を考えた際、遊牧という生活が決して遅れた文化ではないと思う。土地所有と累積的蓄積を第一義とする観念に取りつかれた現代こそ、考え直す必要があるのではないか。20万年前に現れた現生人類たちが移動し、現在地球の隅々まで、果ては海の上まで所有権を主張しあう状況自体、考え直す必要を感じる。今後決して簡単な道筋ではないが、人類連合を目指していくうえで「存異共生」という観念が重要なのではないかと思う。

H25.5.18(土)国際ホテル松山南館(文責 青山淳平)