一遍と今をあるく

えひめふるさと塾

第14回えひめふるさと塾講演「名づけるということ~地名と詩をめぐって~」講師 堀内 統義 先生

第14回えひめふるさと塾 講演要旨

第14回地名を名づけることと詩をつくることは、基本的に通い合う ものがある。雨という言葉を客観的にみると、単なる気象現象の名前に過ぎないが、日本には雨の名前だけで約420種類ある。例えば梅雨でも、激しい梅雨だったら男梅雨(おとこづゆ)、小降りだったら女梅雨(おんなづゆ)などがある。他にも夕立、時雨などがあり、雨という気象現象ひとつにしても、日本人は様々な名前を名づけて使っている。それは日本人が備えている鋭利な感性や情動などが様々に交錯して、生み出しているのだと思う。逆に言えば日本語というのは日本人の感性や情動をよく反映した存在であり、日本語の美しさが凝縮されているように感じる。

地名というのは歴史的要素や地理的要素から名づけられている。ここで奈良の平城宮の大極殿(だいこくでん)を例に挙げる。大極殿は長い間、どこにあるのかわからなかったが、ある研究者が奈良に存在する大黒芝(だいこくしば)という地区と大極殿が関係あるのでないかと考え、そこを発掘調査したら大極殿の史跡が出てきた。このように歴史的要素から命名された地名が存在する。

第14回2また地理的要素で命名された地名も存在する。例えば台状の平たい地形には「平」という文字が地名につく。またハケ、ハキ、ホケなどと呼ばれる地名は、そこが災害地帯や危険地帯なのか示している。愛媛県では法華津峠、徳島県では大歩危、小歩危などがその例である。

このように地名には様々な側面があって、調査してみると大変興味深い。私は民俗的、文芸的に考えると、地名は文化財であると思う。ところが、最近は地名を大切にする意識が薄くなっているように思う。地名が持つ人間の暮らしとの融合を大切にして、地名を名づけてほしいと思う。

詩をつくるということは、自分の中で言葉にならないものに形を与えることである。そういう側面で、地名を名づけることと詩をつくることは通い合うものがあり、私は心が動かされる。地名には人間の暮らしの活力や人間の感情などが込められている。つまり地名は日本人の感情の最も根源的なものと結びついていると思う。

【資料1】

定例会資料ある先生が「灘という地名は日本海にはない。そのことについて、どうしてなのかと考えることが大切である。」と言った。私はその言葉に触発されて、この「消息」という詩を作成した。

【写真:資料1挿入】灘という名前を太平洋側から列挙して作成した詩である。

詩というのは個人のきわめて奥深いところから発せられ、ふたたび個人の奥深いところへ、まっすぐに届く言葉だと思う。我々は言葉の中に包まれているということを念頭に置きながら、個人の奥深いところから、また個人へ手渡していきたい。地名を名づけるということは詩をつくることの根底にあるのだと思う。

H26.7.19(土)国際ホテル松山南館 (文責 青山 淳平)