一遍と今をあるく

えひめふるさと塾

第8回 えひめふるさと塾 講演「詩を求めて」講師 森原直子 先生

第8回えひめふるさと塾 講演要旨

松山に関わりのある先輩の二人の詩人について話したい。

第8回松山では圧倒的な俳句人口におされ、詩を書く人は少数派だった。それでも私が詩を書き始めた時は、一番活発だった。書き始めたのは中学2年生の時。姉が詩を書いており、そのノートを盗み見した。感じたことのない言葉のリズムに衝撃的な驚きを受け、なんて格好いいのだろうと思った。当時は詩を書くといっても、手近にある詩集を紐解き、勝手に模倣するように書いては悦に入っていた。高校生になると文芸部で、友人と文学論のようなものを語り合った。「あなたの詩は甘い」と否定されることもあったが、悔しくて書き続けて、高校2年生の時、はじめての詩集『最初の花』を出した。今では開けるのも怖い。

詩人山本耕一路さんは「詩性川柳」をやっていた。詩作は50歳頃から。その当時、詩学研究会に参加していた。参加者から詩に関して忌憚のない注文がついても、じっと耳を傾けていたそうだ。95歳まで現役で、詩誌『野獣』は202号まで出した。「愛媛に詩の種を蒔き、活発にさせたい。」と言っていた。一般の方にも伝わるようにと朗読、ダンスとのコラボレーション、絵画との共作等様々なことに取り組んでいた。

○山本耕一路の詩の朗読:「島の散髪屋」、「夕鴉」、「逢引」

耕一路さんは「見えないものを見る。それは自分の心の目。そうすると不思議な世界が見えてくる。すなわちそれが詩ではないか。」と言われていた。人が真似できない詩の世界を作って98年の生涯を終えた。

香川紘子さんは、70年近く詩に関わっている。重度の障害をお持ちで、戦前は就学免除があり学校に行くことはできなかった。しかし、広い知識に裏づけされた感性溢れた詩を書き、全国的にも有名な女流詩人だ。香川さんは自分で書くことができない。ご両親が亡くなった後は私が口述筆記をしている。「あなたが生まれた時には詩を書いていたのよ。」が香川さんの口癖だ。私は香川さんの最後の一行まで筆記したい。

○香川紘子の詩の朗読:「蜥蜴」

香川さんは、凝縮された鋭い詩を多く書く。また香川さんは犬好きで、差し上げた犬の日めくりカレンダーを気に入り、犬の詩を4年間で250編書かれた。それが『犬の劇場』だ。

○香川紘子の詩の朗読:「世界苦」

第8回2パグは皺のよった、まさに世界苦を背負い込んでいるような犬。その犬をドクトル・パグと名付けられたのはユーモラスだ。詩集『DNAのパスポート』は、母親へのレクイエム。これで第四回丸山薫賞を受賞された。私が口述筆記をし始めて最初の詩集で、とても印象深い。

○香川紘子の詩の朗読:「命の日数」

毎週香川さんの口述筆記に行く度に詩が生まれていた。書くことでしか悲しみを払拭できないという思いなのがよく分かった。「命の日数」を、私はワープロで書いていたが、最後の一行「わたしはあなたを身籠ったのです」を打ち込んだ時に、香川さんはお母さんの死を乗り越えられたことが分かり、感極まって涙が止まらなかった。未だに昨日のことのように思い出す。

私は10年ぶりに『雲のはなし』という詩集をだした。自分を認識するために詩を書いてきた。まさに自分と対峙することが書く事だ。

○森原直子の詩の朗読:「静かな距離」

今では手仕事をしている親と子が時間を共有する光景は少ない。効率のよい社会になりすぎたと思う。

○森原直子の詩の朗読:「雲のはなし」

詩は無用の用だと言われる。なくてもいいようなものだが、あることによって豊かになれる。「雲のはなし」の黄色い花や鉄棒は必要ではないかもしれないが、あることで生活はどんなに豊かになることか。詩も同じようなものだ。

詩は敬遠されがち。詩人シンボルスターは、詩を好きな理由はわからないが、わからないことに、まるで命綱のように掴っていると言う。わからないという気持ちがある限り詩を考えていていいと勇気を貰えた。詩は感じるだけでもいい。感じたことが一行でもいい。皆様もそれを大切にしていただきたいと思う。

H25.7.20 国際ホテル松山(文責 青山淳平)