一遍と今をあるく

一遍上人堂通信

4 古里(ふるさと)にて

       古里(ふるさと)にて

 

二十五歳の時、お父さまの通広入道如仏(にょぶつ)が亡くなりましたので、古里の伊予に帰ってきました。なつかしい古里の山、そして川___、両親の亡くなった今、淋しい智真をなぐさめてくれるのはこの古里の風物でした。それから七年間、智真は河野家の一員として、また里人として、暮しています。

        子供とともに

智真は童心にかえって、よく近所の子供たちと遊びました。

子供たちの「こま」はくるくるとまわります。

まわる。まわる。そしてつぎつぎと地面に倒れて動かなくなります。

これを見ていた智真は、「まはせばまはる。まはさざればまはず、われらが輪廻(りんね)もまたかくのごとし」(こまはまわせばまわる。まわさなければまわらない。私たちの、この迷いの世の中もまた同じことなのだ)と、悟ったのでした。

         難に遭う

河野の一族にも当時いろいろのもめ事がありましたが、人望のある智真は、その間にあって、いつも苦労をしておりました。ある時、一族の中の恨みを持つ者が、智真を道に待ち伏せていて、突然刀を抜いて斬りかかってきたのでしたが、智真は力も強く、武術の心得もありましたから、白刃(はくじん)の間をかいくぐり、傷をうけながらも一人の刀を奪いとり、相手を撃退しました。

この事件は生死に対しての智真の考えに、一層の深さを与えたようです。ですから、この事件が、智真発心(ほっしん)の動機であったという人もいます。